危機管理とは

~日経社説「コロナ禍が問うもの」を素材にした一考察~

 

 

 

元トッパン・フォームズ(株)執行役員情報システム本部長

 

山田喜代信

 

 

 

はじめに ― 本年(2020年)6月8日付け日本経済新聞社説から

 

本日経社説には、「幅広いリスクに備えた危機管理を」というタイトルが付けられている。「新型コロナウイルスの感染拡大が一段落した機会に考えておきたいことのひとつが、政府の危機管理の向上である。」という文言で始まり、その第1パラグラフは「どうすれば混乱を最小化できるのか。幅広いリスクに備えた体制づくりに取り組んでもらいたい。」で締められている。即ち、本日経社説のテーマは、「政府の危機管理」である。

 

続くパラグラフにおいて、政府が関与する「危機管理」関連の主な箇所を抽出すると、「96年、首相官邸に危機管理センターを設置」、「98年に情報を集約・分析する内閣危機管理監・・・・」、「国家のあらゆる非常事態に際して、司令塔機能を担うNSC・・・・」、「官邸主導によって有事対応が一段と向上・・・・」が挙げられる。

 

そして半ば過ぎに筆者が本稿で取り上げたい、「危機管理は本来、時や場所を問わず、誰が対処しても同じ結果が出るように備えるものである。マニュアルを明示し、現場での初動に迷いがないようにすることが、危機を小さく抑え込む決め手だ。」という文章が現れる。

 

 

 

危機管理とは

 

「リスクマネジメント」は、よく「危機管理」と訳されることが多い。しかし、もう一歩フォーカシングした定義では、「リスク(risk)」は「将来起こり得る不確実性、あるいは事故発生の可能性」を指し、一方、「危機」は「今まさに起きている事故・災害」を、「危機管理」とは今起きている危機への適切なコントロールを指す、とある。即ち、「リスク」は時間に幅があって対象も広い不確実な「危険」の生起を指す概念であり、一方の「危機」は現時点において明確な難局(crisis)が起きていることを指している。後者のcrisisへの適切なコントロールは、「クライシスマネジメント」と呼ばれる。このように、クライシスマネジメントはリスクマネジメントに包含されているが、別ものである。本日経社説を読み進める際には、この点を意識する必要がある。

 

 

 

危機管理は誰でもできるか、同じようにできるか

 

まず、「危機管理は本来、時や場所を問わず、誰が対処しても同じ結果が出るように備えるものである。」と書かれている内容についてである。果たして危機管理は誰でもできて、同じ結果が出るようにできるものであろうか。

 

組織体の危機管理は、その生命維持が危機に瀕している際に安全に生き延びるために遂行されるマネジメントの総体である。その遂行には司令塔(リーダー)の存在が不可欠である。組織体の危機管理とは、言うなれば危機を乗り切るリーダーの判断と采配のもとで、組織が一体となって危機に対処して行く一連のプロセスである。リーダーの判断と采配は当該リーダー固有のKKD(勘と経験と度胸)に依存する。リーダーは時に応じ、場所に応じて最善の方法・手順を採るが、リーダーが代われば結果も異なって来る。政府の危機管理の難しさはまさしくここにある。

 

 

 

マニュアルが明示されれば、現場での初動に迷いは出ないか

 

次に、「マニュアルの明示」について考える。

 

事業体はリスクマネジメント活動の一環として、リスクが発現した場合の有事対応手順をまとめたマニュアルを作成し、整備する。本日経社説では、マニュアルが明示されれば現場での初動に迷いが出なくなるように書かれている。マニュアル装備は必須であること、それが極めて有用であることは論を待たない。しかし、現場での初動における現実対応はそれほど単純ではない。

 

例えば、筆者がかつてミッション・クリティカルな複合オンラインDBシステムの障害発生危機に臨んだ際、対処手順を示したマニュアルは足手まといになった。

 

このシステム障害対応時のことを分かりやすく火事場に例えてみると、現場に駈けつけてまず為すべきことは、作業メンバーの安否確認と救急・消火の手配、絶対に救わねばならない大黒柱と断念せざるを得ない小柱の選別と優先消火の指示、と同時に火の手回り状況を把握して応援消火隊への指示、延焼阻止策の案出と実行、等々への迅速対応である。初動時にはこれらの難題が礫となって、次々に或いは同時に前後左右から飛んで来るのである。これら種々個別的な臨機応変の事態には、マニュアルは物理的にも対応不能である。

 

しかも、これが重要なところであるが、マニュアルは想定された危険(リスク)発現への対応手順は克明に書かれていても、想定を超えた事態が起きている現場の危機(クライシス)への対応方法・手順は当然書かれていない。標準的な、教科書的な内容では、およそ個々の現場では役に立たない。ひとえに司令塔のKKDに依るしかないのである。危機現場に臨む司令塔に求められるのは、気力・体力・知力のほか、火勢が間近に迫って来てもたじろがない胆力と冷静な判断力、そして組織全体を安全に導く指導力である。これらは確かな個人体験によって培われる。

 

 

 

トップマネジメントが備えるべき危機管理

 

筆者は過去に種々のITシステム構築プロジェクトを率い、またシステム稼働後にトラブルを起こして炎上する現場での火消しプロジェクトのリーダーを失敗と反省を重ねながら務めて来た。その経験から、上に述べたしぶとい胆力と沈着冷静な判断力は、実際の修羅場経験を重ねることによってのみ培われ、磨かれ、根付いて行くものであると確信している。不安と緊張が続く体験を積み重ねて行くと想定外の危機にも対応出来る洞察力と応用力が身に付いて来る。特に意欲ある人材は自分の適性や経験と習熟に従って自信を増し、自発的に応用力の幅を広げ、奥行きを深めて行く。

 

故に、組織全体の危機遭遇事態に備えておくべきトップマネジメントの役割は、組織間連携や避難訓練など誰にも出来ること(組織の誰もが行うべきこと)の定例実施と、危機を乗り越えられる気力・体力・知力および胆力・指導力を備えた貴重な精鋭適材を内部に見出し、事あるごとに彼らしかできない司令塔に任命して意欲と自信を持たせ、着実に実践経験を積ませて行くことにあると考える。

 

政府は目下喫緊の課題であるコロナ禍や豪雨災害などへの対応策と、今後の危機管理への能力向上策をどのように策定して行くのか、国民としてつぶさに監視・検証して行きたい。

 

以上