公共と個人の利益の狭間

あいおいニッセイ同和損害保険株式会社

 

有賀 平

 

 

 

公共の利益の向上が個人にとっても有益である場合、両者の優劣を意識することはない。ある政策がGDPの増加と同時に裕福層と貧困層のいずれの所得水準も引き上げるのであれば、政策としての評価が分かれることはない。一方、公共の利益が個人にとって不利益となる場合、どちらを優先するかの立場によって評価が分かれる。経済政策にあっては、GDPの増加には寄与するものの所得格差の拡大が危惧される場合、不利益への対処の可否や程度など、具体的な内容は「価値判断」に左右され、評価は一定しない。

 

今回のコロナ禍での対策については様々な議論がされているが、そのうちの「PCR検査」と「営業自粛要請」を、公共と個人の利益の両面から考えてみた。結果、両政策とも公共と個人の利益が相反する要素が内在し、具体策は価値判断に依存するものであった。つまり、全体とは言うに及ばず、大多数が納得する政策を実施することも難しい。ただ、どのような価値判断に依拠するとしても価値判断の見直しを含めて検証を継続し、「The Next Right Thing(今できる正しいこと)」を継続実施することで乗り越えていくことが求められる。

 

PCR検査の目的としては、感染者特定による感染拡大防止と感染者数の正確な把握が挙げられることが多い。いずれも公共の利益のために重要であるが、PCR検査を受ける個人からすれば、不利益を被る可能性を含んだものになる。特に現時点のコロナ禍では被る不利益は大きい。PCR検査で陽性となった個人は「入院」「ホテル等での待機」「自宅待機」を強いられる。「入院」であれば症状に応じた処置を期待できるが、そうでなければ、発症するリスク、重症化するリスクを抱えながら孤立することになる。季節性のインフルエンザ検査であれば、検査で陽性となっても、リレンザなどの治療薬により数日後の症状回復を期待でき、個人が被る不利益は無視できる程度に小さい。しかし、新型コロナの場合は有効な治療薬がないため、発症と重症化することの不安を抱える状態が見通しなく続く。乱暴にいえば、期限なく行動の自由が制限され、発症と重症化の恐怖の状況に「放置」される。特定感染症のため、個人の利益が制限されることは許容されるが、知る限りの情報では、陽性患者のこうした不安に対する精神面でのケアが十分に行われているとは言えない。治療方法が未解決である間は、PCR検査の実施件数の充実させる一方で、陽性患者に対する不利益への対処を考えていく必要がある。

 

営業自粛要請と並行して、国・地方公共団体が各種経済支援策を実施した。しかし、緊急事態宣言解除後は、各種支援策は継続しているものの、営業自粛要請を出すことには「経済優先」として消極的になっている。自粛要請は人の移動範囲と頻度を制限することで感染拡大防止を目的としており、自粛要請への消極姿勢は公的利益を後退させていることになる。しかし実情は、広範囲の業種に自粛要請を行ったため、事業者という個人に及ぼす不利益が顕著となり、その不利益を無視できない状況になったということだと思う。更に、国・地方公共団体ともに財政上の制約で支援策の限界が見え、自粛要請が困難となったといえる。但し、自粛要請はしないものの、顧客の入場者数や席数の制限など営業活動を制約する対応を求めている。見込顧客の制限は恒常的な収入の減少となるため、事業計画の大幅な変更を強いられる。これらの制限が治療薬やワクチンの普及までの時限的措置であるかも不明であり、事業継続の可否を迫られている個人も少なくないと想像できる。自粛要請を行わないことは一見すると公共よりも個人の利益を優先しているが、個人にも大きな負担を強いることになっている。

 

冒頭で述べたように、公共の利益と個人の利益が相反する場面は少なくない。相反することを想定して、憲法29条では私有財産権の侵害は正当な補償を前提と規律している。しかし、現実をみれば、医療従事者数や財政上の制約もあり、理想の政策の実現は画餅にすぎない。これからは、公共の利益と個人の利益との衡平を模索することが重要になる。衡平を考えるとき、ジョン・ロールズは「正義の二原理」として、『社会生活の基本をなす「自由」は平等に分配すべきこと』『地位や所得の不公平は、二つの条件‐①最も不遇な人びとのくらし向きを最大限改善する、②機会均等のもと、地位や職務を求めて全員が公正に競いあう‐を充たすように編成されるべきこと』(注)を主張する。いまさらではあるが、公共選択の基本に立ち返って政策の選択と見直しを継続し、常に「The Next Light Thing」の実行することが大切である。

 

 

 

(注)ジョン・ロールズ「正義論 改訂版」(川本隆史・福間聡・神島裕子訳) 紀伊国屋書店(2010

 

以上